毎週末、無料体験期間を利用して長女は東進ハイスクールのオンライン授業を受けている。
長女にかける期待も大きいのだろう、今まであまり表には出さなかったが意外に妻は教育熱心だ。
それについて今のところ私は何も言わないでいる。
実は私も浪人時代、東進ハイスクールに通っていた。
何となく大学進学希望だったが高校生活で勉強するハズもなく、現役で一応形だけ数校の大学を受験し全て不合格、そのまま当然のように浪人生となった。
当時は代ゼミ、河合、駿台等の予備校が元気な時代で、TVでは予備校のCMが流れ、有名講師と言われる人達もメディアに露出し、書店にはその有名講師達の名前が付いた参考書が多く並んでいた。
浪人が当たり前の時代だったと思う。
少なくとも私の周りはそうだった。
そんな流れもあり、浪人生になったとはいえ大した危機感もなく、制服が私服に変わり、通っていた高校が予備校に変わっただけで、今想えば浪人生活も実質高校生活の延長だった。
予備校でも友達を作り、みんなで仲良く授業を受け、時にはサボり、やれあの先生の授業がいい、この参考書がいい等々、全く役に立たない知識ばかりを増やして満足していた。
集団意識もあったのだろう。
そんなある意味「楽しい」浪人生活が夏くらいまで続いたと思う。
確か9月くらいだったか、どんなきっかけがあったか覚えていないが、
「このままではマズイ」、「また落ちる」
幸いにもそう気付くことが出来た私は、予備校に行くと周りに流されてしまうので予備校に通うのを止め、一人になる必要があると思い家の近くの図書館に通い始めた。
実際予備校でもしっかりした人は友達グループからそっと抜けていた。
朝から図書館に行って自分の席を確保し、確か1日1問は英語の長文を解くよう自分に課し、受験までの数か月間一人になってひたすら参考書を解く日々を送った。
今想えば正しいやり方ではなかったと思うが、当時の自分にはそうするしかなかった。
勉強に疲れた時は置いてあった手塚治虫の「ブラックジャック」を読んで気分転換しながら、毎日17時くらいまでは図書館で勉強し、その後自宅で少しだけ勉強した。
おかげで「ブラックジャック」は全巻読破した。
医学部を受験してもよかったかもしれない(-_-;)
それに向かいに座っていたおじさんにペン回しを注意された記憶が今でも残っている。
予備校にはたまに模試を受けに行く程度で授業は一切受けず、友達とは会わなくなった。
その甲斐あってかどうか分からないが、大した大学ではないが某私大に合格することが出来た。
だいぶ昔のことなので覚えていることは少ないが、長女が東進ハイスクールのオンライン授業を受けているのを見て自分の浪人時代を思い出した。
自分は浪人しておきながら何だが、子ども達の浪人は経済的に厳しいと思う。
申し訳ない(~_~;)
